古関裕而ゆかりのまち かわまた

古関裕而ゆかりのまち かわまた

昭和初期の川俣町について

 川俣町は、福島県の阿武隈山地西斜面の丘陵地帯にあり、古くから「絹織物の町」として知られていました。昭和初期には、輸出用の「羽二重」が全盛を誇り、世界一の絹織物の産地として名を馳せ、ナイロンが登場するまで「川俣の絹が女性の足を包んだ」とまで言われていたようです。

川俣町と古関裕而

 昭和初期に絹で栄えていた川俣町には、いち早く銀行が進出し、1928年(昭和3年)、福島商業学校(現:福島県立商業高等学校)を卒業した古関裕而は、頭取の伯父に誘われ川俣銀行(現:東邦銀行川俣支店)へ勤務。町内の寄宿先である、母の生家(いとこの実家)から通勤する一方で、作曲の勉強を続けていました。

 古関裕而は、川俣町について以下の通り記しています。

 「目が覚めるとまず裏庭から鶏の声が聞こえ、向かいの鍛冶屋の槌の音が響いてくる。私にとって川俣の朝の音楽である。やがて町のあちこちから筬の音が響き出してくる。(省略)伯父の家の向かい側に舘の山という小高い山があって、よく登っては白秋の詩等を読んだり、作曲したりした。私のメロディーは福島と川俣の風光から生まれたのだ。私はこのような静かな町が大好きである。」(「作曲を志す町」より抜粋。)

 当町には、当時古関裕而が実際に使っていたオルガンが現存しており、今でも当時の音色を聴くことができます。

日本人初の国際的作曲コンクールに入選し、作曲家としての本格的なスタート

 1929年(昭和4年)、古関裕而は、舞踊組曲「竹取物語」ほか4曲をイギリスロンドン市のチェスター楽譜出版社募集の作曲コンクールに応募し、二等に入選しました。これは、日本人初の国際的作曲コンクールにおける入選で、昭和5年1月23日の福島民報新聞に記事が掲載されています。

 そして、これを機に知り合った内山金子(愛知県出身)との熱烈な文通の末、1930年(昭和5年)6月に結婚をしました。同年9月、専属作曲家としてコロンビアに入社するため、夫婦で上京。作曲家としての本格的なスタートを切りました。

数々の名曲を作曲

 1964年(昭和39年)の東京五輪行進曲「オリンピック・マーチ」、毎年夏の甲子園で流れる大会歌「栄冠は君に輝く」、「高原列車は行く」など、現代まで残る数々の名曲を作曲しました。

 古関裕而が生涯に作曲した作品は5,000曲にも及びます。その中には、「川俣町民の歌」、「川俣音頭」、「川俣町立川俣中学校校歌」など、川俣町と関係の深い作品も残されています。

2020年前期連続テレビ小説「エール」のモデル 古関裕而

 2020年前期連続テレビ小説「エール」の主人公のモデルに、古関裕而と金子の夫婦の物語が放送されます。当町は、古関裕而が青春時代を過ごした町として「古関裕而ゆかりのまち かわまた」としてPRしてまいります。